この歴史的なダイヤモンドのネックレスはナポレオン ボナパルトから2番目の妻、オーストリア、ハプスブルク家のマリア ルイーザ フランス皇后への贈物です。ネックレスは息子のナポレオン フランソワ ジョゼフ シャルル(ナポレオンII世)の誕生を祝して、1811年に贈られました。1847年の皇后の死後、ネックレスは数世代に亘り家族が受け継ぎました。
この有名なダイヤモンド シリーズの数多くと同様に、このネックレスにも輝かしい過去があります。親族内で何度か持ち主が変わった後、当時所有していた大公妃マリア テレジアが1929年にネックレスをアメリカに送り、提示価格の45万ドルで売却されました。彼女の取引代理人には、彼女自身の甥(姪)の息子と、他に「タウンゼント大佐」(イギリスのシークレット サービスの者とされる)と、その妻の小説家「プリンセス バロンティ」という偽名を使った二人がいました。
その年の後半に株式市場の暴落の後、タウンゼントはネックレスをニューヨークのあるダイヤモンド ディーラーに6万ドルで売却し、7270ドルをマリア テレジアに送り、残りを「売却諸経費」として手に入れました。裁判所は最終的にネックレスをマリア テレジアに返却し、彼女の甥(姪)の息子は牢屋に送られ、共謀者は姿を消したためその本当の身元はあばかれませんでした。
ハプスブルク家は最終的に1948年にネックレスを個人に売却しました。さまざまな取引を経て、ニューヨークのジュエラー、Harry Winston(ハリー ウィンストン)がMrs. Marjorie Merriweather Post(マージョリー メリウェザー ポスト)に売却するという道をたどりました。彼女は1962年にネックレスをSmithsonian Institution(スミソニアン協会)に寄贈し、現在はワシントンDCの国立自然史博物館で見ることができます。
この記事は2014年4月7日に掲載されました。最終更新日:2019年10月4日
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